2019年 9月 10日 15:29
館山引退
東京ヤクルトスワローズ館山昌平、引退へ。
この一文を見た時、こんなシーンを思い出した。
「タテ、どうして丸刈りにしてるの?」
そういえば彼は常に髪が短いと思い、僕が何気なく聞いた質問だった。
「理由があるんだよ」
と、ひと言話した後、こんな言葉が返ってきた。
「右肘にメスを入れて手術をすると右腕が当分動かなくなる。左腕から腱を移植するから両腕が使えなくなる。その間、髪を触れないし、伸びていたら邪魔になることが多い。だから丸刈りが一番、便利なのよ」
これが4年前の話。2015年、館山昌平は見事復活を果たし、ヤクルトのリーグ優勝に貢献した。
肘には3度のメスを入れた。
実に肘には3度のメスを入れ、靱帯再建手術を行ってきた男。現役生活17年間のほとんどが手術中心の生活……そんな印象すらある。
怪我を抱えながら、手術とリハビリを繰り返しながら、それでも38歳まで現役を続けてきた不屈の精神力。’09年には16勝をマークし最多勝を獲得。通算では85勝。先発投手として17年続けての勝ち星は100勝に届かなかった。館山が手術で休んでいる期間が無ければ何勝できていただろうか?
「これを食べれば身体のどこに良いのか。この栄養素が肘のどの部分に効果があるのか。面白いよね、食事はね」
食事だけでなく、プロテインやサプリメントなど身体を形成してくれる摂取物についてまで、まるで研究者かのように知識を取り込んできた。身体の状態を見て、何が必要か、何を摂るべきか自分で判断できた。
「引っかかったのではなく、引っかけにいった」
ピッチングに関しても自らの1球1球について、克明に解説してくれるタイプ。インタビューで対峙すると、その言葉は非常に深く、聞きごたえがあった。こちらの質問に対して、自分の考えとは異なる部分は「違う」とはっきりと言ってくれる。最後はいつも納得させられた。
「あの1球は右打者への外角へのボールが大きく外に逸れた。引っかかった?」
「引っかかったのではなく、引っかけにいった。そんな感覚。インコースに抜け気味のツーシームを試合中に矯正する為の方法として、一度外に引っ掛けるような感覚で投げてツーシームの感覚を元に戻そうと思って投げたボールだったんだよ」
その試合の実況で、僕は「館山のボールが引っかかって大きく外に外れました」と伝えていた。しかし振り返ると、確かにその後、館山は右バッターをインコース気味のボールで打ち取り、内野ゴロの山を築いていた。
自分のピッチングについて語る館山の話の面白さは、まるで読みごたえのある書物の読後感のようだった。
神奈川県の高校野球界を熱狂の渦に。
先日、二軍戦で現役としては最後の登板を終えた38歳の館山は「穏やかな気持ちだった」と試合後に話した。
いまから21年前、日大藤沢高校のエースとして、横浜高校の松坂大輔らと死闘を演じ、神奈川県の高校野球界を熱狂の渦に巻き込んだ。
「甲子園での思い出は?」と聞くと、「春の選抜での甲子園練習かな。ベンチから控えの選手たちの動きを見ているのが何よりも嬉しかった」と答えた。
どういう意味か?
「全員でやるのが野球なんだよね」
甲子園本戦ではレギュラー陣が出場することが当たり前。だから甲子園練習ではベンチで控えている選手たちに思う存分、大甲子園のグランドでプレーしてもらうことを選び、館山はベンチからその光景を観ていた。
「全員でやるのが野球なんだよね。日大藤沢の方針でもあった。控えの選手たちの気持ちが如何にわかるか。敬意をもって接することが出来るか。高校時代からその思いは変わらないかな」
控えの選手たちの気持ちが如何にわかるか──これこそが館山昌平の最大の魅力だと感じる。
どのレベルでも驕ることなく鍛錬を重ねてきた。
この思いがあるからこそ想像を絶する苦しい怪我を抱えながらも長く耐え忍び、17年間、現役生活をおくることが出来たのだろう。二軍生活時、リハビリ生活時、若手の選手たちと対等に向き合い、どのレベルでも驕ることなく鍛錬を重ねてきた。
プレーを続ける為の術を見出し、続けた先に何が待っているかを知っている人間だ。怪我で苦しむ若手や、手術を行うかどうかで悩むベテラン、技術的に精神的に伸び悩む選手たちにとって、彼からのアドバイスは珠玉のものになるはずだ。
引退会見でどんな言葉を吐露するのか。これからの未来をどのように進もうと考えているのか。
館山昌平だからこそ楽しみで仕方ない。
それと同時に今は酷使してきた肘を身体をゆっくりと休めてもらいたい。
お疲れ様でした